ボーカロイドとか

加速度的に「ミク曲+歌ってみた」がプロコンテンツの領域を侵食する、趣味嗜好多様化社会を読んで思ったこと.
一年くらい前は,初音ミクのオリジナル曲をニコニコで追っかけたりもしていました.が,最近めっきりですね.はやり廃りという奴でしょうか.
私は芸能関係に疎いので,最近はやりの曲とか全く分かりません.ずっと昔からそうです.好きな音楽というのはあります.CDがリリースすれば飛びついてしまうアーティストだっています.でもはやってるから聞こうとか,ランキング上位だからイイ曲だとか,そういう風には思えないんですよね.
はやりの音楽,所謂J-POPという奴には,少なからずお金のニオイがします.
断っておきますが,私は経済学,経営学に関する知識はほぼゼロです.音楽に関する知識もほとんど無い.よってここからは完全に独断.理系人間の偏見に基づく独り言.
音楽出版もビジネスである以上,売れない物はリリースできないと思います.売れないもの=はやりじゃないものだとすると,売れるもの=はやり.音楽市場ははやりで埋め尽くされるのは当然のこと.
出版される音楽は,ほとんどの場合プロデューサの息がかかります.プロデューサの評価というのはどれだけ数字をのばせるかという部分が大きいですし,名前だけで売れるようになれば自分の好きな物を作れるんじゃないかと思います.つまり,はやりを作り出せるということ.プロデューサだけに限ったことではないかも知れないですけど.ソングライタもコンポーザも同じように,著名になればやりたいことやって金を生み出せるんじゃないかな.
一方,それほど著名でない場合はどうでしょうか.これははやりにのっとってマネするしかないんじゃないかな.弱小アーティストが突飛なことしようとして事務所からGOが出るとは思えないですよね.実情は知りませんけど.
結局何が言いたいかというと,私たちが手にすることが出来る音楽って,はやりのもの,またはそのマネをした物だけに限られてくるんじゃないかと思うんですよね.少なくとも,マスメディアを中心に音楽情報を集めている人に限っては.そして,世の中の多くの人はそうしているんじゃないでしょうか.そうした人によって,またはやりが形成されていく,といったループだと思うんですよ.
ここで,トラバ先の記事から引用です↓

私の同年代(20代後半〜30年代前半)ではそろそろ”オリコン新曲を追いかける”ことをやめ、懐かしい曲を中心に聴く人も増えてきている。

これは結構あり得る気がします.私は新曲を追いかけていたことなんてないので説得力がないですがw 結局,それまでのはやりの音楽をいろいろ聞いてきた人も,その中から自分の好みってのを見つけることが出来て,はやりを追っかけるのを卒業する.例えばはやりがA,B,Cの3つだったとして,やがてA,Bはすたれ,C,D,Eがはやりになったとします.でも新曲を追わなくなった人,たとえばAが好きだった人は,Aを追いかけます.ただ,流行の変化にあわせて,Aの音楽も変化する.昔はあのバンド好きだったのに....って言う声はよく聞きますw となると,懐かしい曲,つまりAのはやりだったころの曲を中心に聴くと,そう言うことだと思うんですよ.
音楽性の変化ってのは,あって当然だし,それを否定するつもりはありません.また,聞き手の好みの変化もしかり.アーティストだって成長してるわけで,音楽性が変わらないアーティストってのはむしろ,成長力のない奴らですよね.アーティストってのはクリエイターであり,新しい物をどんどん創作出来ないようでは,とっとと引退して流れ作業の再就職先でも探した方がいいですよ,ホントww 成長による音楽性の変化の結果,以前からのファンがついてこなくなったとしても,それは成長の方向性がそいつらとずれてたってだけで,新しい魅力に気がついた奴らはちゃんとついてくるし,また別の新しいファンも獲得できるはず.ただしそれには,的確なプロモーションが不可欠であり,的確なプロモーションを実現するには,事務所の力が必要=はやりにのっとってる必要があるんじゃないかなと.そこで陳腐な音楽,はやりの音楽のパクリしかできないようなアーティストはそこまでの奴らだったとしか言いようがない.
話が大幅にそれました.閑話休題
はやってない物,売れるかどうか分からないものにお金をかけてくれるほど,レコード会社は親切じゃないと思います.つまり,アーティストって食べていくためには,はやりにあわせた曲をリリースするしかないんじゃないかな,ということ.
一方アマチュアはというと,そうじゃないですよね.
ニコニコのボーカロイドや,歌ってみたに限った知識しかなくて申し訳ないんですが,J-POPからアニソン,ゲーソン,演歌まで,いろいろあると思います.はやりを気にせず好きなものをガンガン世間に出していけるというのは,アマチュアのいいところですよね.
ここでのボーカロイドの功績は,はやりを一手に担ったところ何じゃないかと思います.今となっては事情が違いますが,少なくとも1年くらい前までは,ボーカロイドの新曲つくりました,ってだけで一度見て,聴いてくれる人が結構いたと思うんですよね.曲の出来がどうであれ.
動画のタイトルに,「新曲つくって歌いました.聴いてクダサイ!」って書いてあっても,なかなか再生数は伸びないでしょうから.
そして視聴者のフィードバックがコメントで返ってくる.プロの売れ筋ミュージシャンならともかく,アマチュアが不特定多数の人から自分の創作物に対するフィードバックを得られる機会はなかなか無かったんじゃないでしょうか.それで,つくる側のモチベーションも技術も向上し,今のCDリリース等へつながったのではないか,と考えています.

自分の趣味嗜好とは別のベクトルにいっちまってるメジャーより、カチッと自分の好みにハマる”ミク+歌ってみた”コンテンツのほうが良く聞こえてくる

これって一昔前によく言われていたロングテールの,テールの部分に似てるんじゃないでしょうか.アマチュアがニッチに分散したニーズに"カチッとハマる"コンテンツを発信することで,そう言ったニーズを持つ人々が満足している,と.それ自体は非常にいいことだと思いますし,これからも頑張って欲しいと思いますよ,ええ.
でもそれで"プロの領域を浸食"できるかというと,決してそうではないと思うんですよね.
Amazonはテールを味方に付けて飛躍的成長を遂げました.今のニコニコの著名ボーカロイドアーティスト(これ言い方変かな)だってそうだと思います.でもこれって,音楽市場を駆逐できるような物なんでしょうか.
テールじゃない部分(呼び方わかんないんです.素人なので)は,あくまではやりの音楽だし,そこの部分はすでにJ-POPで飽和状態.アマチュアの入り込む余地ってあるのかな.その辺の構図に関しては特に今までと変わらない気がするんですよね.ボーカロイドや歌ってみたのコンテンツが力を伸ばしているのは,あくまでテールの部分であって,プロが実際に力を入れている部分に関してはあまり関係ないんじゃないかと.
id:wa-renさんの記事を読んで感じたのは,この著者本人を取り囲む環境が変化しただけ,つまり,30前後の年齢になって,本人を含んだ身の回りの人がはやりに興味が無くなってきたというだけなんじゃないかと.
私の両親は,もうずっと昔から同じ曲ばかり聴いていますw いい加減やめてくれと言いたくなるところですが,そんな両親でも,気に入った曲があればはやりの曲でも聴いたりしますよ.親元離れて久しいですが,最近の記憶だと地上の星がはやった時は聴いてたかな.両親はニコニコを見ませんが,ボーカロイドの曲をいっぱい聴かせれば確かに,何曲か気に入ってくれると思います.別にプロがつくったとかアマチュアがつくったとかは気にしないと思います.

序々にメジャーとネット発曲の境目が曖昧になってゆく

そんなことは元々どうでもいいと.
私の両親が仮にボーカロイド大好きになったとしましょう.それで,ボーカロイドがプロがやっている領域を食ったのかというと,全くそんなことはなくて,新たな価値が創造されたと見るべきでしょうね.J-POPに興味がないという事実に関しては何ら変わりがないのです.
トラバ先の著者と直接意見交換したことはないので偉そうなことは言えませんが,著者がボーカロイドにお熱をあげていて,そのせいでプロの楽曲がないがしろになっているのかというと,そうじゃないと思うんです.

オリコン新曲を追いかける”ことをやめ

とあるように,本人がプロの出版している物にもともと興味がない.セブンイレブンの隣にファミマができて,そのせいでセブンイレブンの客が減るならともかく,もともとセブンイレブンを利用していなかった人がファミマに行くようになっても,セブンイレブンはあまり打撃を受けていないんじゃないかと.ボーカロイド大好きになっても,プロの仕事は減らないよ,と.
たとえば,ユニコーン再結成とかやってますよね.これってメンバーのモチベーションとかもあるかと思いますが,決定的なのは,レコード会社か所属事務所が,大多数の人間に"刺さる"と判断したから実現したんだと思うんです.ボーカロイドがやらなくたって,歌ってみたがやらなくたって,金になるんだったらプロはちゃんと動きます.はやると判断すれば.

「趣味嗜好多様化社会」と銘打っていますが,趣味嗜好多様化世代に突入しただけであって,社会がそうなった訳じゃないと思うんです.